仙台城下のかつての村境は何処?(4)

 「仙臺鹿の子」の記述から、仙台開府以前の仙台城下の村境を割り出そうとしていました。今回もその続きです。






<仙臺鹿の子」の原文該当文>



  イ):『荒巻権現の杜より南へ、』

  ロ):『六番丁通り辺まで、』

  ハ):『同六番丁通を西へ、』

  二):『二日町東裏切に南へ、』

  ホ):『高き通を同心町へ、』

  へ):『同心町より東三番丁通りへ入り、』

  ト):『新伝馬町北裏に付き、東五番丁通辺を、』

  チ):『清水小路六道の辻六番丁と七番丁との間の辺より若林御米蔵あてに、』

  リ):『西の分米ヶ袋川内北山杉山共に荒巻村まで、』

  ヌ):『小田原村西は荒巻村堤切り、』

  ル):『東は原の町通り鉄砲町北裏切り、』

  ヲ):『西の方にて車地蔵より南へ、』

  ワ):『七番丁六道の辻通りへなり出て、』

  カ):『荒巻村界より、』

  ヨ):『東の分は小田原村の分なり』




 本日は上記原文のリ)からです。
  リ):『西の分米ヶ袋川内北山杉山共に荒巻村まで、』
 この文節の主語は『西の分(は)』なはずなのですが、何の西の分かは省略されています。しかし、ここに書かれている地名、「米ヶ袋」、「川内」、「北山」、「杉山」は、いずれも明治期の荒巻村に隣接する仙台市域の地名です。なので、この文節の文意は「荒巻村の西の分は「米ヶ袋」、「川内」、「北山」、「杉山」、いずれも現在の(江戸時代の)荒巻村まで、」と、いう事だと思います。
 上記4っの地名の場所を地図に落とし込んでみました。
   ・「米ヶ袋」、「川内」、「北山」、「杉山」
③(リ)PM38年地形図_0001 (722x1024).jpg
 地図上に黄緑色に塗った部分が上記4っの場所です。これらはいずれも町名や村名ではなく、裡名、広域地名です。

 と、この作業を行っている途中、とんでもないことに気付きました。
 前々回(仙台城下のかつての村境は何処?(2))の「イ):『荒巻権現の杜より南へ、』」と、「ロ):『六番丁通り辺まで、』」を読み解いて引いた赤い線、これは荒巻村と小田原村の境だったはずなのですが、それが「北山」と「杉山」の間に引かれてしまっています。
   ・「北山」と「杉山」の間に引いてしまった赤い線
間違いではT③(リ)PM38年地形図_0001 (744x1024).jpg
 これだと「杉山」は小田原村分になってしまって、今回の文節の文意に合わなくなってしまいます。どこを間違えたのでしょう?

 この問題、半日ほど考えていました。
 で、買い物ついでのお散歩をしている時にふと気づいたのです。「イ):『荒巻権現の杜より南へ、』」の「荒巻権現の杜」を、私は安易に「荒巻神明社」と断じてしまっていたのですが、これが間違いだったのではないか。そう言う風に思いが至ると、二年ほど前の「どんと祭」の時に聞いた話が思い浮かんできました。
 通町・北八番丁の玄光庵と言う曹洞宗のお寺さんの境内に小さな熊野神社が在ります。そこで正月飾りをお焚き上げしてもらいながら、そこの氏子さんとお話をさせてもらったのですが、その時、この熊野神社は大変古い神社で昔は荒巻村の総鎮守だった、という事を聞いていました。現在の”荒巻”の中心からはずいぶん離れた場所ですし、熊野神社は江戸時代から昭和初期にかけてたくさん勧請されて、今では何処にでもある神社です。なので、すっかり私の記憶から抜け落ちてしまっていました。
 これは現地に行ってこの二ヶ所の神社を確かめてみなければなりません。


 まずは「荒巻神明社」です。荒巻神明社は現在の街区名で言うと、「青葉区荒巻神明町(しんめいまち)25」に在ります。荒巻神明町は、北隣の荒巻本沢と並んで江戸時代~昭和初期の荒巻村の中心地でした。
*荒巻神明社
8月荒巻神明町・荒巻神明社-08_17_2019-019 (1024x683).jpg
 本殿の軒下に縁起書が掲げられていました。
   ・荒巻神明社の縁起
8月荒巻神明町・荒巻神明社-08_17_2019-026 (1024x683).jpg
 この縁起書によれば、創建時期は不明だけれど国分氏治世の頃、つまり南北朝~戦国時代末という事のようです。国分氏がこの辺りの土豪氏族を従えたのが16世紀頃ですので、その時代に創建された、と見るのが妥当かもしれません。
 主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、当時はやった”伊勢信仰”によって建てられた、とあります。この事からも、「イ):『荒巻権現の杜より南へ、』」の「権現」という神号が不似合いなのが分かりますね(天照大御神を大日如来の化身と見なす本地垂迹説もあるにはあります)。天照大御神を祀る神社は、通常は「神宮」、末社は「神明社」で、「権現」という神号が使われることはありません。「権現」という神号は、本地垂迹説が適用される神々に付けられる神号、もしくは偉業を為した人が亡くなった後に神として祀られた時に付けられる神号です。
 やはり、『荒巻権現の杜』は「荒巻神明社」では無いようです。


 続いて「熊野神社」です。この熊野神社は現在の街区名で言うと「青葉区柏木3丁目22」に在ります。一昔前の町名ですと「通町256」です。
*通町の熊野神社
8月通町・熊野神社-08_18_2019-004 (1024x768).jpg
8月通町・熊野神社-08_18_2019-007 (1024x768).jpg
   ・熊野神社縁起(略記)
8月北八番丁・熊野神社-08_17_2019-002 (1024x683).jpg
 縁起略記を見ると、こちらも勧請の時期は不詳です。ただ、宝暦癸酉(みずのととり/宝暦三年に当たる)に書かれた、という縁起によれば、『第八十三代土御門天皇の御代の勅宣を以て』と、ありますので、1198年~ 1210年、鎌倉時代の前期という事のようです。
 熊野大社(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の総称)の御祭神は「家都御子神(けつみこのかみ)」、「熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)」、「熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)」の三柱なのですが、ここは「イザナミノミコト」、「ハヤタマヲノミコト」、「ヨミツコトサカヲノミコト」となっていますね。多少伊勢神道の影響を受けているみたいです。
 ともあれ、熊野神社は修験道と深い関係がある神社でして、その祭神は神仏習合・本地垂迹説に則った神々です。従って「権現」の神号が使われ、熊野神社は「熊野権現社」とも称されます

 この縁起書の、中ほどから最後にかけてはとても興味深いことが書いてあります。全文を書き抜いてみます。
 『御勅宣を以て宮城郡荒巻邑(むら)総鎮守として奉祀(ほうし)すべき旨達せられ、近郷近在の崇敬(すうけい)特に篤(あつ)かったと曰(い)ふ』
 この熊野神社が荒巻村の総鎮守であったことがここに書かれていました。

 さらに、
 『註(注) 縁起曰く、荒巻邑(村)(境)際者(は)、西は郷六折立(ごうろくおりたて)川限(かぎり)。東は藤松(現・青葉区藤松/ふじまつ?)(かぎり)。西は根白石(ねのしろいし)早坂川限。南は鎰取(鉤取)(境)
 この地に出産の者は皆産子(うぶこ/生子)なり』

と、荒巻村の範囲が書かれています
 残念ながら、この縁起略記からは仙台城下内の旧・村境は分からないのですが、「仙臺鹿の子」の言う『荒巻権現の杜』は、この通町の熊野神社でほぼ間違いないようです。

<ぼやき>
 『荒巻権現の杜』の”杜”を「もり」と読んでしまったことがそもそもの間違いだったんだよなあ・・・
 なので、『荒巻権現』は街中ではない、と勝手に思い込んでしまった。で、荒巻村の中心近くにある「荒巻神明社」を、良く調べもしないで『荒巻権現』だと思い込んでしまった。
 そう、”杜”は、江戸時代の一般的な訓の「やしろ」だった…
 つくづく、最初にちゃんと裏を取らなかった自分の横着さに後悔しきりです。




 これらを踏まえて、(仙台城下のかつての村境は何処?(2))で行った荒巻村と小田原村の村境の線を修正したものが以下の地図の青い線です。
   ・修正:荒巻村と小田原村の村境
これではT③(リ)PM38年地形図_0001 (744x1024).jpg
 青い三角印が「通町の熊野神社」、赤紫色の星印が「村境榎稲荷」のかつての場所です。この二つの神社が開府以前の村境を記録する神社となります。



 まだ北の方、「北山」、「杉山」付近の村境がはっきりしていませんね。これについては(リ)~(ヨ)にか書かれている小田原村の村境の記述ではっきりしてきます。これについては次回に解析して見たいと思います。
<つづく>

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この記事へのコメント

coba
2021年03月20日 12:03
興味深く拝見させていただきました。
蛇足ですみません…たしか、熊野神社が「荒巻村の総鎮守」といわれていた頃は、現在の通町ではなく、青葉山に存在していたと記憶しています。その青葉山時代に荒廃してしまったため(管理していた寺院が廃寺になっていた)、仙台城造営の際に、お隣の玄光庵とともに現在地に移動してきた…とどこかで読んだ気がします。
奥州街道沿いに遷座されたために、井澤家(検断)や横山家(味噌醤油店)といったスポンサーにも恵まれ、現在もその歴史が残り地域に守られているのは、いい話だなと思います。
2021年03月21日 08:19
cobaさん、おはようございます。

 大変貴重なお話、ありがとうございます。
 確かに在り得そうなお話ですね。青葉山は荒巻村の域内でしたし、開府以前は修験道の聖地でした。そこに総鎮守を設けてもおかしくはありません。出典が分かれば確認が出来るのですが…