虫愛づる姫君(一)

 時代は今から八百年ほど前、平安時代末か鎌倉時代の初めでございます。



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       (一)
     「少年のような姫君」
 



 蝶を可愛がっている姫君のお近くに、按察使(あぜち)の大納言の姫君がお住まいでした。世の姫君達と比べても、とびぬけて賢く上品でしたので、親御様たちは下にも置かぬ程に可愛がり、お世話をなさっておいででした。
 この姫君ですが、常日頃こんなことをよくおっしゃっておいででした。
 「世間の人々は花や蝶を『まあ、きれい!』とか『かわいい!』とかもてはやし、うわべの美しさにのみとらわれていますが、それってなんかおかしくありません? そもそも蝶は毛虫が成長したもの、その本質をこそ探究しなければいけないと思うのですよ。そのように、物事の根本を突き詰めてその実体を見出す、と言う考え方こそが大事なんではありませんか?」
 こんな事をおっしゃっておいでで、傍目(はため)には気味悪い虫たちを集めて来て、
 「この虫たちが大きくなって変わるさまを観察いたしましょう」
と、言って、様々な虫を籠や箱に入れて飼っておいででした。
 なかでも、
 「毛虫はとても気持ち惹かれるわねぇ、面白いわ」
と、おっしゃって、朝な夕なに長く艶やかな御髪(おぐし)を耳にかき上げ、白く華奢な手に這わせた毛虫を愛(いと)おしげに眺めておいででした。

 そんな姫君にはお屋敷の使用人たちは気味悪がって近づくことが出来ませんでした。しかし、使用人の男の子達はまだ頑是(がんぜ)なく無邪気でしたので虫を怖がることはありません。そんな無邪気な男の童(おのわらわ)をお近くに召し寄せ、箱の中の虫を手に取らせてその名を尋ねたり、名前が分からない虫には新しく名前を付けたりして楽しんでおりました。

 この姫君は、世の姫君達がする様なお化粧や身づくろいがお嫌いでした。
 「人はあるがままの姿こそ貴いのです。化粧で身を取り繕ったりするのは嫌です」
と、おっしゃって、紅・白粉はつけず、眉を抜くことも無く、お歯黒等はことさら、
 「汚い上に煩わしいわよ」
と、おっしゃって、素顔のままでした。
 もとより色白のお方でしたので、その白いお顔に笑みを浮かべ、妖しき虫たちを朝な夕なに愛でる姿に、人々は恐れおののいて近づくことが出来ません。
 そんな人々を、かの姫君は、
 「なんて非常識で下品な人たちなの!」
と、化粧っけの無い眉黒の素顔で睨みつけますので、なお一層人々は困惑しておりました。

 姫君のご両親は、
 「何でこんな娘になってしまったのだろうねぇ」
と、お思いになられ、
 「姫の言うことは世間では風変わりで異常なことだが、理屈は間違いではない。理屈が間違いでないことがかえって賢(さか)しらにも聞こえてしまうのだろうなあ…」
 「どうしたら良いものだか…」
と、お嘆きでありました。

 一応、姫君には、
 「姫の理屈は分かる。だが世間の人々はその様には取らないだろう、世間の人々は姿形が美しいものを好むのが常なのだからね。このような気味の悪い毛虫を好んで飼っているなどという事は世間では良くは思われないのが常なんだよ」
と、諭すのですが、姫君は、
 「関係ないわよ。気にしないわ。」
 「森羅万象、その元を訪ねて行けば物事の本質がはっきりするのよ。簡単なことだわ。この毛虫だっていずれは蝶となるのよ」
と、言って、幼虫、蛹、成虫と順を追った姿を両親に見せるのでした。
 さらに、
 「絹織りの着物と言って世の人々が珍重していますが、その絹糸だって羽も無い蛆虫のような幼虫が紡ぎだしたものですよ。さらに、それが成虫になってしまうと人々は袖にもせずに忌み嫌ってしまいます。ホント、その気持ちが分からないわ」
 この様な姫君の言い様に親御様は言い返しも出来ず、ただただあきれるばかりで、顔を背け、
 「鬼と女は姿が見えぬことこそ良い、と言う諺があったなあ」
と、溜息をつくのでした。

 この様な言い合いを母屋の御簾(みす)を少し巻き上げて、几帳(きちょう)を立てただけの所でしていたものですから、屋敷の若い者たちが盗み聞きしてしまったのでしょう、
 「姫君はずいぶんなご自慢だが、オレはなんか気持ち悪いお遊びだと思うぜ。近所の蝶好きの姫君とうちの姫君を並べてみたらどうなんだろう、似た者同士なんじゃないのか」
等と話しておりましたが、その内の兵衛(ひょうえ)と言う者は、
 「なんで殿様たちは姫君を説得できないんだろう。毛虫の世話なんて、オレは御免被るぜ」
等と申します。
 かと言えば、小大輔(こだいふ)という者は笑いながら、
 「羨ましい事よのう、世間の人々は。みんな花や蝶と浮かれているが、我々は毛虫臭い暮らしだわい」
と、言います。これにはみんなも笑いを誘われて、
 「辛いことだわい。姫君のあの黒々とした眉も毛虫に見えてしまう。さては姫君の歯茎は皮がむけて裸虫の様になっているのではあるまいか」
と、散々な言い様です。
 左近(さこん)という者は、
 「冬が来ても姫君は着物の心配をしなくてもよいよなあ。これだけたくさんの暖かそうな毛虫が居れば、」
等と言って打ち笑うのでした。

 このように若者たちの口さがない陰口を、日頃より口やかましいと噂されている女房の一人が聞きまして、
 「あなたたちは何という事を言っているのですか。蝶を愛でる姫君だってもっぱらそれだけを愛でているわけではありますまい。蝶の姫君と毛虫の姫君を並べてみたいなんて、馬と鹿を並べて”馬鹿”と陰口をするようなものですよ。とんでもないことです」
 「毛虫だってやがて脱皮して美しい蝶になります。姫君はその様子を見守っておられるのですよ。なんて奥ゆかしい行いだとは思わないのですか。」
 「蝶は捕まえれば羽の鱗粉が手について不快でしょう。かゆくなったりかぶれたりもするでしょう。おお、気持ち悪い、ぞくぞくする」
と、若人(わこうど)達に言い返したのでした。

<(二)へつづく>

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この記事へのコメント

2018年09月29日 21:43
こんばんは。力作,お疲れ様です。
古典を読むといつも思うには,人間いつでも同じだなあという言うことです。
話はそれますが,最近よく庭で大型の毛虫を見ます。毛虫って今なんでしたっけ?
続きを楽しみに待っています。
2018年09月30日 08:58
ET先生、おはようございます。

 おっしゃる通り、人間の感情の動きや情感は1000年昔も今もあまり変わらないのかもしれませんね。この主人公の姫君のような若い女性は今の世にもいそうな気がします。

 私は昆虫はあまり詳しくないのですが、いわゆる毛虫はどの季節でも見かけます。秋は特に越冬のための栄養を蓄えるために活動が活発になって、よく見かけるように思えます。幼虫のままで冬を越すものもいれば、蛹になって冬を越すものもいるようですが…
 これは私の経験だけからの見方なのですが、秋に見かける毛虫のほとんどは蛾の幼虫のようです。

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