テーマ:町の歴史

龍雲院と「りんごの歌」他

 「りんごの歌」は、テレビの”戦後・焼跡・闇市”のシーンになると、バックに必ず流される楽曲なのですが、もう今の人にはこの曲のノスタルジーはピンとこないのかもしれません。その「りんごの歌」の作曲家、「万城目正(まんじょうめ ただし)」の菩提所がここ龍雲院です。 *龍雲院山門  この山門の右脇に、「やすらかに万城目先生」…
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龍雲院と細谷十太夫

 細谷十太夫の名を知らない方でも、戊辰戦争で活躍したゲリラ組織の「からす組」の名はご存知かもしれません。龍雲院は、その細谷十太夫が住職を務めた寺でもあります。 *鴉仙和尚(細谷十太夫)座像  この坐像は、龍雲院の山門を入って左手へ少し進んだ所に在ります。細谷十太夫関連の他の史跡もその辺りに大部分がまとまっています…
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龍雲院と林子平

 子平町の龍雲院は、その寺の名よりも「林子平の墓」という名の方が通りが良いです。近くの道案内もそのようになっています。 *北四番丁・土橋通角の導標    (この道標は、何時、誰が建てたのかは分かりません。      ただ、此処は仙台銀行の敷地でしたので、仙台銀行が建てたものではないかと思います) *同、案…
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龍雲院と子平町

 金臺山龍雲院は青葉区子平町に在る曹洞宗のお寺さんです。この龍雲院には結構面白い逸話のある方々が眠っていらっしゃいまして、そのお話は次回以降の何回かのシリーズでお話してみようと思います。  先ずは、初回の今日は龍雲院と子平町(しへいまち)の関係についてお話ししようと思います。  少し前に「半子町の藤屋敷」の事を書いた…
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「堰場」と「舟丁」(終章)

 ここまで回を重ねて、「堰場」と「舟丁」という地名に絡めて仙台城下南部の交通・物流について書いてきました。長くもなりましたので、このシリーズの最後に付近の名所を簡単に記して終わりにしようと思います。  これらの”名所”についての詳しい話は、また別の機会にします。 *第74番「根岸/宮沢」の辻標  「…
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「堰場」と「舟丁」(その5)

 変な思い付きに惑わされ、気まぐれな記事を挟んでしまいました。改めてまして、「堰場」と「舟丁」のシリーズを続けることにします。今回は「宮沢渡戸」と関連深い「誓願寺渡し」と「愛宕橋」についてです。 *堰場から見た「愛宕堰」と「愛宕橋」      2017年10月撮影    (宮沢橋と愛宕橋の中間あたり…
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「堰場」と「舟丁」(その4)

 「堰場」と「舟丁」に関して話すには、もう一つ触れておかなければならないことがあります。それは「宮沢渡戸(みやざわのわたど/みやざわわたど)」です。これがあったからこそ、現在の「宮沢橋」があるのですから。 *「宮沢渡戸」は、たぶんこの辺?  「宮沢橋」の少し上流から下流方向を撮った写真です。写真中央の赤い橋げたの橋が「宮沢橋…
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「堰場」と「舟丁」(その3)

 前回,「六郷堀」は農業用水路としての役割が大半、と書きました。しかし、その取水口付近では広瀬川舟運の荷下ろし場としての役割もありました。今回はその事についてお話ししようと思います。 *今は分断されている「舟丁」    ・南東方向(河原町方向)のビュー       2014年4月撮影    (地下鉄南北線「河…
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「堰場」と「舟丁」(その2)

 前回、「堰場(どうば)」は広瀬川から「七郷堀」、「六郷堀」の水を取水する所、という事をお話ししました。今回はその「七郷堀」と「六郷堀」についてお話ししたいと思います。 *「堰場」の春    2014年4月17日撮影  (堰場はこの時期、柳は芽吹き、梅や桜は花咲き、椿は紅を濃くしてとても美しい景色を見せてく…
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「堰場」と「舟丁」(その1)

 前回の記事の中にも出て来た地名なのですが、仙台城下の仕組みを語る上でも重要な場所ですので別の回を設けました。5回前後のシリーズになる予定です。 *第六十三番辻標「堰場/舟丁」  今回お話しする「堰場(どうば)」と「舟丁(ふなちょう)」は、江戸時代から続く地名です。「舟丁」は江戸時代初めに「御舟衆」を置いたことか…
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続・仙台市の遠謀

 だいぶ前(2016年6月3日)に、広瀬通の銀杏並木伐採には仙台市の”遠謀”が隠れている、という記事を書きました。今回はその続編ともいうべき話です。  昨年(2018年10月28日)の河北新報朝刊に『仙台・宮沢橋架け替えへ 来秋着工、東部と南部往来便利に』という記事が載りました。 *宮沢橋  「宮沢…
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仙台市の人口が減少に転じる?(後編)

 前回に引き続き、仙台市の人口減少問題について考えてみたいと思います。 *現在進行中の大規模開発    ・地下鉄東西線荒井駅付近       東西線荒井駅屋上から大年寺山方向を望む    (手前の近景が「荒井」、中景左手が「伊在」、右手方向が「六丁の目」です)    (ここ数年で住宅が大分密集してきまし…
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仙台市の人口が減少に転じる?(前編)

 昨年12月5日と年明け3日、地元紙の河北新報朝刊にとても興味深い記事が載っていました。いずれも仙台市の人口動向に関する記事なのですが、これを朝刊のトップ記事にするあたり、さすが地元紙だと思います。  今回は年頭の記事でもありますし、この事について少し考えてみようかと思いました。 *近年、市街地に増えている空き地…
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失われた「支倉坂」

 これも「新坂通界隈」のスピンオフのひとつでして、「新坂通」の名前の由来となった「新坂」とは関わりが深いお話になります。    ・「澱橋(よどみばし)」の上から広瀬川の下流方向を眺める  写真中段、広瀬川の左岸、中央から右側が現在の街区名で言う「支倉町(はせくらまち)」です。江戸時代は「支倉丁(はせくらちょう…
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新坂通界隈(7)

 このシリーズの最終回です。「北六番丁」通りから南、「新坂」の坂上までを辿ります。 1:東北大学医学部構内  「新坂通」は、「北六番丁」通りとの交差点で「東北大学医学部」と「東北大学病院」の敷地に行く手を遮られます。    ・「北六番丁」との交差点  車止めがあって、ここから先は車の進入はできないのですが…
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新坂通界隈(6)

 今回は「北八番丁」通りと「北六番丁」通りの間について書きます。現在の街区名では「柏木1丁目」、「柏木2丁目」、「星陵町」の北半分がこれにあたります。 *「新坂通」、北八番丁角から南方向を望む    (国際交流会館やユニバシティーハウスの留学生たちがこの道を良く通ります)    (この写真の右側が「柏木2丁目」…
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新坂通界隈(5)

     柏木3丁目(<北八番丁>通りまで)  大願寺前通と新坂通の丁字路交差点まで戻り、再び新坂通を南下します。    ・大願寺前通と新坂通の丁字路交差点    (右手、「萬國コーヒー」の前の通りが「大願寺前通」、右隅の黄色い壁の建物が「荘厳寺会館」)    ・付近地図 1:「…
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前々回の記事の訂正

 現在一番町2丁目の書店、「金港堂」にて実寸大「仙臺城下五釐卦絵図」の展示をやっていまして、昨日(11/2)見に行ってきました。  と、言いますのも、前々回の「新坂通界隈(3)」で、「超光寺」西脇の空き地に書き込まれている文字を「萱場」ではないか、と書いたのですが、自信が無かったからです。実寸大であれば文字が正しく読み…
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新坂通界隈(4)

      三条町の「大法寺」と灰塚跡の考察  三条町の「大法寺」は、人によっては「北山」のグループに含める方もいらっしゃるのですが、私は前回・前々回の寺々と同様に「伊勢堂下」のグループに入れています。ここでもいくつか面白いものを見つけました。   ⑨浄土宗 円光山光巌院大法寺(だいほうじ)    ・付近地…
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新坂通界隈(3)

    「新坂町の寺巡り」後編  荘厳寺の角を右に曲がると真っすぐな道が続いていまして、その先に立派な甍(いらか)のお寺が見えてきます。それが「大願寺」でして、この真っすぐな道は大願寺の参道で「大願寺前通」と言います。 *「大願寺前通」  この「大願寺前通」の両側は江戸時代は寺々が並ぶ寺地でした。明治に入り…
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新坂通界隈(2)

   「新坂町の寺巡り」前編  北山や新寺小路ほど有名ではありませんが、「新坂町」もお寺の多い町です。現在「新坂町」には8ヶ寺あります。北から順番に廻ってみることにします。 *「新坂通」、永昌寺前から大学病院方向を望む    ・「新坂町」付近の寺々  この地図の番号順に廻ります。   ①…
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新坂通界隈(1)

 北山町の「横田屋」さんの角から「新坂通(にいざかどおり)」に入り、歩き始めます。入ってすぐの所はまだ「北山2丁目」なのですが、直に現在の街区名で「新坂町」と呼ばれる地域になります。    ・「新坂通」入り口、横田屋さん角    ・「北山2丁目」と「新坂町」の境  (道の両脇にカーブミラーが立っているの…
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新坂通界隈(序)

 熱中症の心配もほぼ無くなった今日この頃、中断しておりました町歩きを再開しようと思います。手始めに、「新坂通(にいざかどおり)」を歩いてみようと思うのですが、この界隈、今までほとんど取り上げてこなかった所ですので、数回の連載になりそうです。  散歩を始める前に、この「新坂通」の概略をお話ししておこうと思います。…
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ウナギ坂

 作並街道(さくなみかいどう/山形側での呼び名は「関山街道」)は、仙台と山形県東根市を結ぶ街道で、国道48号線でもあるのですが、その作並街道が八幡町を抜けてすぐの所に「ウナギ坂」という、一風変わった名前の坂があります。と、いうか、正しくは”あった”でしょうね。今日はその「ウナギ坂」の話をしてみたいと思います。 *ウ…
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「鈴虫」が付く地名

 近頃めっきり涼しくなってまいりまして、日中でも虫の声を聴くようになりました。そんなことから、今日は「鈴虫」と言う名が付く地名について少し書いてみます。  先日テレビで言っていたのですが、最近は仙台でも鈴虫やマツムシはほとんど見かけなくなったのだそうです。そう言われてみれば、私の家の周りでもよく聞く虫の声はコオ…
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刺客 斎藤外記(後編)

 前回の続きです。その名が自らが住む町の名となった後も、斎藤外記の活躍は続きました。  ・これも何時の時期かは不明です。  ある時、窪田十郎と言う者が命令違反を犯したうえで他領へ逃亡しました。斎藤外記は政宗公の命により、この者の追撃に向かいます。  この窪田十郎と言う者は馬が好き①という事が知れていましたの…
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刺客 斎藤外記(前編)

 前回は県庁の東に在った「外記丁(げきちょう)」の変遷について書きました。今回は、その「外記丁」の名前の由来となった「斎藤外記」と言う人物について書いてみたいと思います。辻標の説明書きには『斎藤外記は政宗の命を受け、いらい数度刺客となり他領に出むいて脱藩者を討ちあるいは捕らえた』と書かれています。『刺客』って、密命をおびた暗殺者ってこと…
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「外記丁」と本町3丁目付近について

 一年ほど前にこの「外記丁(げきちょう)」についてのコメントもいただきましたし、私自身もそれ以前からこれについて書いてみようと思っていましたが、延び延びになっていました。今日は意を決して書き始めてみようと思います。少し長くなりそうです。  「外記丁」は、江戸時代初期に出来、明治以降若干の範囲変更はありましたが昭和42年…
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寺子屋と往来物について

 前回のクイズの出題材料としました「往来物」と、仙台領内の「寺子屋」について簡単な説明を加えておこうと思います。 *榴岡天満宮の「筆塚」  榴岡天満宮の手水屋の傍らには3基の「筆塚(ふでづか)」が立っています。向かって一番左端が「虎岩八弥頼景(とらいわはちやよりかげ)の師恩を顕彰した「筆塚」です。虎岩八弥頼景は、…
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前回の記事の補足

 前回の「木町」の記事で説明不足だった事、書ききれなかった事について若干補足致します。 1、”通りの名”から”通”の字を取って作られた新しい町名  「木町」がその説明をするに格好の例でしたので、前回は「木町」だけの説明で終わってしまいました。実際はそれ以外にも「”通りの名”から”通”の字を取って作られた新しい町名…
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