近況、その後

 お菊さんの呪いなのか、皿屋敷シリーズの続きにまだ手を付けられないでいます。(´;ω;`)ウゥゥ

 ということで、今回は前回の「近況」の後日談を・・・





 先週の金曜日(11/20)、いつもの様に街中へ買い物に出かけたのですが、ちょっと見ない間に紅葉も落葉も進んでいました。
*晩翠通(細横丁)の銀杏並木の黄葉
11細横丁-11_20_2020-002 (1024x768).jpg
 すべて黄色に色付き、一部の木は裸に近いまでに落葉が進んでいました。




1、「SENDAI 光のページェント」の準備

 定禅寺通のケヤキ並木の葉は残り少なくなり、幹には前回お話しした「SENDAI光のページェント」の為のターミナル(端子)が設置されました。たぶん、12月に入るとすぐにLED電球がケヤキの梢に掛けられ、そのリード線の終端がこのターミナルに接続されます。

 ちなみにの話になります。この光のページェントの電源設備ですが、、、
 定禅寺通の何箇所かに受電・配電設備があらかじめ設置(四角い箱の方は、元々信号機や街路灯用のものらしいです)してありまして、
*光のページェントが近づき、受電・配電設備の点検をする様子
     2020年11月6日撮影

T11月勾当台公園-11_06_2020-046 (1024x768).jpg
*定禅寺通緑道の配電盤
11月定禅寺通-11_13_2020-014 (1024x768).jpg
配電盤とケヤキの木の根元近くの間には配線用の管が埋設されています。
*配線用の管の開口部
7月定禅寺通-07_29_2016-210 (1024x683).jpg10月国分町1丁目-10_16_2020-007 (1024x768).jpg
 普段はこの状態なのですが、光のページェントが近づくと、この菅に導線が通され、
*引き出された状態の配電盤からの導線
11月定禅寺通-11_13_2020-012 (1024x768).jpg
間近になるとターミナルが接続され、ケヤキの幹に設置されます。
*ケヤキの幹に設置されたターミナル
     2020年11月20日撮影
11定禅寺通-11_20_2020-009 (1024x768).jpg
 さらにちなみに、なのですが、この配電盤は「定禅寺ジャズフェステバル」のPA用の電源としても利用されています。いずれも恒例行事ですので、こうした恒久的な設備が用意されているわけです。

 コロナの蔓延具合が気になるのですが、、、
三密にならないよう注意をして、楽しみましょう。直近になって中止、という事にならないことだけを祈っています。

 で、ちょっとだけTipを、
 「光のページェント」は、なにも定禅寺通や勾当台公園だけがビュースポットではありません。光の海に包まれる、という体験は定禅寺通緑道だけでしか味わえないのですが、視界一杯に光の帯が広がる、という、別の感動の体験が出来るビュースポットも存在します。これは仙台市民には割と知られた”隠れスポット”なのですが、、、「青葉城址(本丸跡)」がそれです。眼下に光の帯が連なる様は、あたかも夜空に光る天の川のようです。牽牛や織女になったかのような気分を味わえます。
 また、東北大川内キャンパスから工学部へ上る道の途中にも同様のビュースポットがあります。こちらは車を停めるスペースがほとんど無いのですが、毎年何組かの見物客が来ています。
 この二ヶ所は比較的”密”を避けられる場所ですので、穴場だと思います。




2、宮城県美術館移転話のその後の報道

 河北新報11月16日夕刊、17日朝刊、いずれも1面トップで『宮城県美術館移転断念』と言う見出しで出ていました。
*河北新報11月16日夕刊1面
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*同、17日朝刊1面
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 16日の夕刊は、1面の半分を使って”第1報”といった感じの記事でしたが、17日の朝刊は、1面の三分の二ほどを使って経緯と解説、3面の「総合」で断念理由の詳報、14面の県内版で賛成意見、反対意見と知事への会見記事、27面・社会面で『県民の力県政を動かす』と言う見出しで、反対派に寄り添った記事を載せています。
 私は全国紙を見ていないのですが、河北新報はずいぶん詳しい、大きな扱いですね。と、いうことで、この切り抜きは歴史の記録として私のアーカイブに収まりました(笑)。



 ところで、河北新報は『県民の力県政を動かす』と、鬼の首を取ったような喜び方なのですが、私はまた別の受け止め方をしています。
 もちろん、私も県美術館が宮城野原へ移転する話には反対でした。ただ、それは歴史的建造物を毀して建て替えるのはもったいない、といったような近視眼的な理由からではなく、美術館という文教施設が郊外に分散することに反対だったからです。旧仙台城の跡地に集約された博物館、美術館、そして東北大学のキャンパス、といった「川内地区=文教地区」と言う景観は、それに連なる旧城下町の景観とも相まって、「学都仙台」、「城下町仙台」としての大事な財産だと思うのです。
 その意味で言えば、「東京エレクトロンホール宮城」と「みやぎNPOプラザ」は当初の計画通り仙台医療センター跡地に移転、という決定に対しては不満です。「東京エレクトロンホール宮城」も文教施設ですし、同じ城下の「追廻住宅跡地」に移転させるのが良かったのではないかと思っています。そうすれば今よりももっと収容人数の大きい建物が建てられますし、川内地区の文教地区としてのバリューも上がります。
 (ちなみに、「追廻住宅跡地」は公園になるようです)
 「みやぎNPOプラザ」は、新しくなる仙台市役所の一角を借り受けるか、市役所の集約化で空きとなる市役所の二日町分庁舎が良かったのではないかと思っています。街中の方が便が良いですからね。
*現在の「東京エレクトロンホール宮城」
11定禅寺通-11_20_2020-011 (1024x768).jpg
 (以前は「宮城県民会館」と呼んでいましたが、平成20年に命名権を譲って現在は「東京エレクトロンホール宮城」と名乗っています。現在の建物は昭和39年に建てられた物です。クラシックからポピュラー音楽、演歌、民謡、演劇、演芸、各種会議・会合等々幅広い催し物が行われる会場ですので、仙台市民のみならず、近隣市町村民にも広く知られた施設です。立地も、定禅寺通沿い、と人々が集まりやすい場所です)
*現在の「みやぎNPOプラザ」
4月榴岡-04_30_2015-002 (1024x683).jpg
 (「みやぎNPOプラザ」の設立は2001年で、以前は市中心部、市役所か本町辺りに在ったように記憶していたのですが、2013年4月に「宮城県公文書館」が泉区の宮城県図書館内に移転すると、この建物に入りました。ちなみに、この建物は昭和43年に建てられ、平成10年3月までこの地に在った「宮城県立図書館」のものです。その後「宮城県公文書館」になり、平成25(2013)年に「みやぎNPOプラザ」となりました。
 さらにちなみにですが、この場所は以前は「釈迦堂」と呼ばれていました。四代藩主伊達綱村が、生母三沢初子の菩提を弔うために建てた釈迦堂が在ったためです。その釈迦堂は、現在は榴岡4丁目の「孝勝寺」に移されています)



 さて、ミソをつけられた県行政の方なのですが、、、例によって河北新報は、宮城県が当初どのような構想の中で「宮城県美術館の移転」という判断をしたのか、という点については掘り下げられていません。『集客効果や経済合理性から…』という様な説明がされていましたが、実はそれだけでない”遠謀”もあったと思われるのです。

*移転先として挙げられていた「仙台医療センター跡地」付近の地図
P宮城野原_0001 (788x1024).jpg
 この地図は2011年第2版第2刷発行の「でっか字まっぷ仙台」昭文社ですので、「仙台医療センター」が移転前の姿です。赤い線で囲った所が「仙台医療センター」で、矢印の先の薄い赤い線の所が移転先です。下の最近の地図と見比べてください。
*最近の地図

 この「仙台医療センター」の移転工事が始まった当時の姿を写真に撮ってあります。
 下の二枚の写真は2016年5月に撮影した、取り壊し前の「仙台医療センター」です。
*2016年5月撮影、「仙台医療センター」
DSC_0076 (1024x683).jpgDSC_0131 (1024x683).jpg
 建物前の敷地の一部で何らかの工事が行われている様子です。これについては後程説明します。

 次に、下の4枚は2018年9月に撮影したものです。移転先で工事が始まった様子を写しています。
*移転先の工事現場
9月宮城野2丁目-09_11_2018-102 (1024x768).jpg9月宮城野2丁目-09_11_2018-103 (1024x768).jpg9月宮城野2丁目-09_11_2018-104 (1024x768).jpg
9月宮城野2丁目-09_11_2018-095 (1024x768).jpg
 この場所は、以前は自転車競技場と陸上競技のトレーニング公園でした。
*2016年5月撮影の「運動公園(トレーニング公園)」
5月宮城野原-05_30_2016-015 (1024x683).jpg
 (木立越しに自転車競技用のトラックが見えています)
 先ほどの、二枚目の写真にはヘリコプターが写っています。この当時、すでに仮設のヘリポートが設けられ、ドクターヘリの駐機が始まっていました。現在、このドクターヘリの駐機場は此処と大学病院の二ヶ所となっており、交代で待機するようになっているようです。

 さて、この「仙台医療センター」なのですが、正式名称は「国立病院機構仙台医療センター」と言います。医療の提供、医療に関する調査・研究並びに技術者の研修等を行う厚生省所管の独立行政法人、「独立行政法人国立病院機構」に所属する宮城県の病院です。主に高度医療を担っています。
 その始まりは明治四年に設立された「仙台鎮台病院」でして、勾当台に設けられていました。軍人さん向けの病院だったのですね。
 それが、昭和12年に日中戦争が始まり、傷病兵が増えてくると、当時「宮城野練兵場」、「仙臺飛行場」であったこの地に分院が建てられます。「仙臺陸軍病院臨時宮城野分院」と称していました。
 これが昭和20年4月に「仙台第一陸軍病院」に昇格し、戦後は厚生省に所管が移って「国立仙台病院」となりました。私等世代は、単に「国立病院」と呼んでいましたね。
 で、平成16年に厚生省から独立行政法人に所管が移り、現在の名称となった訳です。

 それで、この「仙台医療センター」が移転した理由なのですが、手狭になったとか、老朽化した、と言う理由もあるのですが、もう一つ大きな理由があります。それは、以前私のブログでも採り上げたことがある「元寺小路・福室線」の工事です。この、「都市計画道路 3環状・12放射状線」のひとつである「元寺小路・福室線」の計画路線が「仙台医療センター」の敷地の一部に掛かっていたからです。上の写真にその工事中の様子がちょっとだけ写っています。現在はこの「元寺小路・福室線」のこの工区は完成し、共用されているようです(完成後の姿をまだ見に行けていないのですが…)。

 前置きがだいぶ長くなりましたね。そろそろ本題、宮城県の”思惑”の推測に入ります。
 実は、宮城県・仙台市は、昭和50年代ごろから、拡大し続ける仙台市の都市機能を市街地から郊外へ分散させようとしてきました。「3環状・12放射状線」や、「副都心計画」と言ったものがそれであり、仙台市の東部、南部に各拠点を設け、その拠点それぞれに都市機能の一部づつを集約する、という構想です。「3環状・12放射状線」はそれらを結ぶ動脈になります。「卸商団地」や「仙台新港」等もその一環で、昭和の時代に完成しました。
 で、ここ宮城野原なのですが、少し前の時代は物流拠点(今もまだ残っていますが、「宮城野貨物駅」はここにありますし、「仙台公設市場」はかつてここに在りました)でした。しかし、現在JRは鉄道貨物の輸送量が減った事と、機能の集約化から、旧・長町操車場とここ宮城野貨物駅操車場を統合して岩切へ移す計画を立てています。また物流拠点も卸商団地や仙台新港とその後背地に移っています。
*JR宮城野貨物駅
     2018年9月撮影
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*宮城野貨物駅に隣接する物流会社の倉庫群とコンテナ
     2018年9月撮影
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 その結果、ここ宮城野原の貨物駅付近には広大な空き地が出来る訳ですが、そこを「広域防災拠点」にする計画が出てきています。私の記憶ではこの計画は5~6年前の発表だったと思うのですが、東日本大震災の経験を踏まえた計画でした。
 ここに救援物資・資材の集積施設と荷捌き施設を作り、鉄道や船舶を使って他地域から集めた物資を、付近を通る都市計画道路(3環状12放射状線他、国道や市道等)で被災各地に分配出来るようにする、と言う計画です。
 確かに、付近には地震で倒壊するようなビル群もありませんし、国道45号線、国道4号バイパス、「元寺小路・福室線」、「宮城野通」、「宮城の萩大通り」、「新寺通(+県道137)」等の幹線道路も隣接していますし、「仙台医療センター」や「陸上自衛隊仙台駐屯地(苦竹駐屯地)」も隣接しています。好立地だと思います。ただ、「長町・利府断層線」が近くを通っている事はちょっと心配なのですが…

 と、いうことで、防災拠点としての宮城野原に丁度手ごろな空き地が出来た。よく考えて見たら、近くには陸上競技場(弘進ゴムアスリートパーク仙台)や野球場(楽天生命パーク宮城)があるし、榴岡公園(仙台歴史民俗資料館)や仙台サンプラザ等の文化施設もある。ここに宮城県美術館や東京エレクトロンホール宮城を持って来れば文教区域としての側面も持たせることが出来るのではないか、交通の便も良いし、、、と言ったことを県の担当者は想像したのではないかと思うのです。ま、公有地の有効利用とすれば至極もっともな考えだと思います。
 まあ、だとしても私は反対なのですけどね。理由は先ほど述べた通りです。

 結局、市民、県民への説明が足らなかったのじゃないかなあ。市民・県民の反対(仙台市長も反対だったらしいですよ)がこれほど手ごわい事になるとは想像していなかったようですね。決定以前に上手に説明していたならば、ここまでの反対はなかったかもしれません。






3、「仙台初売り」について、

 こちらは、まだ新聞報道では見ていないのですが、11月17日か18日のテレビのニュースだったと思います。『三密対策をしたうえでの実施』という報道がされていました。期間延長や、事前予約などの対策がとられるようです。商工会ごとに対策が考えられているようですので、詳しくは年末近くですね。

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この記事へのコメント

2020年11月28日 12:35
こんにちは!
>配電盤とケヤキの木の根元近くの間には
 配線用の管が埋設されています

何でもお詳しいですね~感心しています!!
みなとは、注意力が有りません。
2020年11月29日 08:22
みなとさん、おはようございます。

 週一くらい、ほぼ同じ道筋をのんびりと歩いていますので、ちょっとした変化にも気づきます。後は好奇心ですかね(笑)。
2020年11月29日 11:25
こんにちは。
美術館移転断念が一面になるのは河北新報らしいです。
元県民会館が移転になるのは知りませんでした。あまりニュースを見ていないからかも。劇団四季のオペラ座の怪人,キャッツ,美女と野獣,そしてリンゴ・スターのコンサート懐かしいです。街なかにあってよかったんですけどね。
2020年11月30日 09:25
ET先生、おはようございます。

 宮城県民会館(東京エレクトロンホール宮城)の建て替えの話はだいぶ前から出ていました。その当時は老朽化という事もあったのですが、音響効果が良くないという事と、客席数が少ない(地方の音楽ホールとすればそれ程少ない訳では無かったのですが…/大ホールは約1600席/人気グループ・歌手の”箱”にするにはちょっと、いや大分不足です)という事が理由でした。
 建て替え、移転の話が本格化したのは震災以降になります。宮城県民会館は、東日本大震災で大きな被害を受け、約1年間休館するほどでした。それが建て替え・移転話を本格化するきっかけになりました。
 劇団四季のオペラ座の怪人のロングラン公演は大人気でしたね。