い~ちまい に~まい さんま~い・・・、の二枚目

 私もそうなのですが、「い~ちまい に~まい さ~んまい」と、皿を数える怪談話と言えば、「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」と言う言葉を真っ先に思い浮かべますよね。私が最初に知ったのはラジオで放送された講談の「番町皿屋敷」でした。翌朝井戸端で顔を洗うのが怖かったです。(昭和30年ごろまでは我が家に井戸がありました。もっとも、釣瓶井戸ではなくて手押しポンプでしたが)

 ややこしい事なのですが、この「番町皿屋敷」というお話の外に、「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」というお話もあるのです。映画や講談、落語などの方は「番町皿屋敷」の筋立てで演じられるのが多いのですが、歌舞伎や浄瑠璃では「播州皿屋敷」が演じられ事が多いようです。
 家宝の皿を1枚割ってしまい、その咎で殺される。それを恨んで化けて出て、「いちま~い、にま~い、…」と皿を数える、という物語のコアの部分は一緒なのですが、片方は江戸牛込が舞台であり、片方は播州姫路が舞台です。また、ストーリーやテーマも異なっています。今回はそれをちょっと比較してみようと思います。
*江戸猿若町、三座(中村座、市村座、川原崎座)の様子(部分)
   「近世風俗志」(四)/岩波文庫より
三座2_0001 (1024x764).jpg
   (嘉永七年、安藤広重画)








二枚目:「番町皿屋敷」と「播州皿屋敷」、どっちが先?
 「番町皿屋敷」と言うお話は、いずれも舞台が江戸なのですが二系統ありまして、ひとつは「講談版」、もひとつが「岡村綺堂(おかむらきどう)版」です。

 「講談版」は、講釈師の馬場文耕が宝暦八(1758)年に表した『皿屋舗辨疑録(さらやしきべんぎろく)』を基にし、それを脚色した「怪談 番町皿屋敷」です。講談や芝居の「番町皿屋敷」のほとんどがこの系統の話です。でも、高座や芝居で演じられる時は、その前段や後段がはしょられたり、さらに若干の脚色がされることが多く、私が聞いたのも、そのさわりの所だけでした。
 その「怪談 番町皿屋敷」のさわりの部分をざっとかいつまんで書いてみます。
 牛込御門内五番町火付盗賊改役青山播磨守主膳の屋敷が在った。その屋敷で働く下女のは、主人が大切にしていた十枚組の皿の内の一枚を割ってしまう
 怒った奥方は菊を厳しく責めるが、主人の青山主膳は、それでは手ぬるいとばかりに、菊の中指を切り落とし、いずれ手打ちにしてくれんとて、縛り上げて一室に閉じ込める。
 汚名を着せられたまま切り捨てにされるのも口惜しい、この非情をこの身を賭して訴えん、とて、菊は縄付きのまま屋敷を抜け出し、井戸に身を投げる

 そして、お菊の怨念はこの井戸に残り、夜毎に井戸の内から「い~ちまい、に~まい・・・」と、皿を数える声が聞こえるようになり、その声は屋敷内の何処にいても聞こえるほどであった。
 さらに、青山主膳の奥方が生んだ子の右手には中指が欠けていたという。

 この事はやがて公儀の耳にも達し、青山家は改易となる』

と、ここまでが「怪談 番町皿屋敷」のコアの部分で、よく上演される内容です。よくある因縁話、荒れ屋敷の怪談話です。なので、「お菊虫」等と言う付会も後に起こります。(この件は後の回で触れるかもしれません)

 で、「皿屋舗辨疑録」には、この前段に青山主膳屋敷の前身の話(千姫御殿の「小路町の井戸」の話)、後段にお菊の霊が了誉(りょうよ)上人によって救われる話が付いています。



 「岡村綺堂版」は、この「怪談 番町皿屋敷」を基に大正5(1916)年に戯曲「番町皿屋敷」として創作したものです。登場人物の名前などはよく似ているのですが、プロットやテーマがまるっきり別なものに変わり、悲恋物語になっています。私はこの舞台を見ていないのですが、台本が青空文庫に在りましたので、以下にその粗筋を書いてみます。

 主人公の青山播磨は旗本奴の白柄組と言う設定です。
 第一場は舞台が山王権現下で、そこに居合わせた幡随院長兵衛配下の放駒四郎衛とその子分たちとの小競り合いから始まります。
 今まさに始まろうとしていた切り合いに割って入ったのが青山播磨の伯母、「渋川の後室、真弓」でした。
 真弓はこの喧嘩をうまく治めるのですが、帰り際に、こうした不行跡をしているのも身が固まらぬからと、青山播磨の縁談の話を持ち出します。


 第二場は、番町の青山邸の座敷です。この第二場がこの芝居の骨子になりますので、筋を追いながら要約してみます。
 『この日、青山邸では白柄組の寄合があり、そのの饗応の為、お菊と朋輩のお仙は青山家伝来の十客一組の高麗焼の皿を箱から出して準備をしていた。用人の十太夫はその皿が青山家にとっていかに重要な家宝であって、それを損じた場合はお手打が家法と心得よ、と告げる。
 十太夫が客間の片付けでその場をハケたあと、お菊とお仙との会話になる。
 この会話で青山播磨の縁談の噂が語られる。また、お菊と青山播磨が相思相愛の中であることがお菊の独白から観客に示される。青山の縁談話を聞かされて惑うお菊の心は小唄様の独白で展開される。
 青山播磨の心の内を知りたい、と思い迷う心からお菊は、「もし、この皿を打ち砕いたら、殿様は如何に…」と、家法の皿の1枚を柱に打ち付けて割ってしまう。
 この様子をお仙が下手から伺い見ている。
 客間から戻った十太夫は割れた皿を見て驚き、菊を問い詰める。菊は黙ったままで何も話そうとしないのだが、そこに帰宅した青山播磨が現れ、お菊に仔細を問う。
 青山播磨が、「誤って皿を壊したのであろう、そうなのだな」と、お菊に問いかけるのに対して、「はい、不調法にて御家宝の皿を損じましてございます」と、答える。
 青山は、「粗相ならば致し方ない、先祖伝来の家宝ではあるが、皿一枚とそなたの命を引き換えに出来ようものか、以後慎めよ」と、菊に言って聞かせる。
 その言葉に菊は喜ぶのだが、十太夫は合点がゆかぬまま退出する。
 菊と二人になった青山は、その後も菊にやさしい言葉をかける。その言葉に菊は、ああ、やはり殿様は私を思ってくださっている、と嬉しくなる。
 そこへ十太夫が血相を変えて登場し、菊が嘘を言っている、と言いたてる。菊がわざと柱に打ち付けて皿を割ったのを見た、とお仙から聞いた、と話す。
 それを聞いた青山播磨は一旦十太夫を遠ざけ、お菊と二人きりになって、お菊に何故わざと皿を壊したのか、と問う。
 お菊は、「殿様の心変わりを疑い、御心を試そうとて割りました」と、答える。
 お菊のその言葉を聞き、青山は激怒し、お菊の襟髪を取ってねじ伏せる。「今まで主従の分け隔てなくお前に真を尽くしたに、その心を試すとは、あまりにも憎し」と、傍らの刀を引き寄せ、「この皿惜しさにおのれを成敗しようとするのではない」と、言いながら、一枚二枚とお菊に数えさせながら皿を割る。
 「それほど無慈悲でないのならば、なんでむざむざ御成敗を」、と言う家来のとりなしにも、「菊は合点がいったはず、潔白な男の誠を疑った女の罪は重いと知れ」と、刀を振り下ろした。
 青山の命により、菊の亡骸は井戸に落とされた。』

 明治末になると、西洋の思想が次々に紹介されるようになり、人権意識が高まり、後の「大正デモクラシー」の流れになって行きます。風俗では西洋の恋愛結婚が理想である、という様な風潮が生まれ、「自由恋愛」等と言う言葉も生まれます。しかしながら、世の一般はまだまだ封建的な考えも根強く、男尊女卑のしきたりが当たり前でした。この戯曲はそうした時代の風潮の中で生まれたものだとも言えると思います。
 この岡村綺堂の「番町皿屋敷」は戯曲としては面白い筋立てなのですが、現代に生きる私などからすれば、なんでそんなにまでして”男の我”を通さなければならないの、という気持ちになってしまいます。命を賭して男の気持ちを確かめる、という”女心の可愛さ”を素直に受けとめて、「愛いやつ」とばかりに抱きしめてやればよいのに、と思ってしまうのです。







 「播州皿屋敷」は、享保五(1720)年、京都の榊山四郎十郎座で演じられた「播州錦皿九枚館」という題名の歌舞伎が最初です。ですので、馬場文耕の「皿屋敷弁疑録」よりも38年早い、という事になります。そこから、この「播州皿屋敷」が「番町皿屋敷」・「皿屋敷弁疑録」の元ネタなのでは、と言う説もあります。

 「播州錦皿九枚館」の台本は残っていなくて、その粗筋は分からないのですが、寛保元(1741)年大阪の豊竹座で初演された浄瑠璃の「播州皿屋敷」の粗筋は以下の様になります。
 『細川家の国家老、青山鉄山は、叛意をつのらせ姫路の城主にとってかわろうと好機をうかがっていた。そんなおり、細川家の当主、巴之介が家宝の唐絵の皿を盗まれ、足利将軍の不興を買って、流浪の憂き目にあう。鉄山は、細川家の宿敵、山名宗全と結託して、細川の若殿を毒殺しようと談義中に、委細をお菊に聞かれてしまい、お菊を抹殺にかかる。お菊が管理する唐絵の皿の一枚を隠し、その紛失の咎で攻め立てて切り捨てて井戸に投じた。とたんに、井筒の元からお菊の死霊が現れ、鉄山を悩ます。現場に駆けつけたお菊の夫、舟瀬三平に亡霊は入れ知恵をし、皿を取り戻す』(Wikipedia「皿屋敷」よりC & P)

 こちらは敵討話になっていますね。また、主人公の名前も身分も少し異なっています。
 でも、舞台が武家屋敷で、「お菊」という名と、「十枚一組の家宝の皿を1枚割る(隠す)」、「それを咎に切り殺されて井戸へ投げ込まれる」、「化けて出て皿を数える」、というコアの部分は共通しています。





 以上が現在よく知られている「皿屋敷」の怪談話です。これを見ますと、「播州皿屋敷」の方が最初に発表されたこともあって、これを元ネタとして「番町皿屋敷」が創られた、と言えそうですね。
 ですが、そうじゃない、そもそもの元ネタ、元になる事件、或いは伝説がそれぞれにあって、それを基にそれぞれが独自に創作した「怪談」だ、と言う説を唱えた方々も居まして、現在はこちらの説の方が有力とされています。
 と、いうことで、次回はその元ネタ説の検証をしてみます。

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この記事へのコメント

2020年09月21日 06:31
おはようございます。
もとになる事件の有無すら知らないので,次回がまた楽しみです。
私は完全な創作かと思っていました。
2020年09月21日 08:50
ET先生、おはようございます。

 この二つの戯曲はいずれも18世紀に創られたものなのですが、第1回目の「化物屋敷」は17世紀(少なくとも元禄八年以前)のお話でした。つまり、この二つの戯曲が発表される以前から「皿屋敷」の怪談は存在したことになります。その辺りが私を含めた好事家の探求心を引き付けるのです(笑)。
 資料の読み込みに手こずっていますが、今週末ぐらいには次の記事が出せそうです。
2020年09月23日 22:32
こんばんは!
このお話は、知っていましたが
実際に本を読んだという事もなく
漫画のようなもので知りました。
家宝の皿を壊したのでお手打ちになり
井戸に捨てられ・・い~ちまい に~まい さんま~いです。

殿様の心変わりを疑い、御心を試そうとて割りました」と、答える。
これは、初耳でした(*^-^*)
元ネタ説の検証が楽しみです。
2020年09月24日 08:42
みなとさん、おはようございます。

 もうブログに復帰できるような環境になられたのでしょうか?
 後ほどみなとさんのブログの方にもお邪魔させていただきますね。

 この「皿屋敷」のお話は、モチーフが衝撃的な内容ですので、脚色の仕方で様々な主題の戯曲になり得ます。岡村綺堂版も、悲恋物語として再構築したものですが、なかなか見ごたえのある舞台になったのではないかと思います。

 次回の元ネタ探しなのですが、結構複雑な内容になりそうです。複数の要素が絡み合っているからです。出来るだけ分かりやすく、と努力しているのですが、私のスキルではさほど効果が上がっていないような…