「いろは歌」にまつわる四方山話

 現代(いま)は、「いろは歌」を正確に、最後まで言えない人も増えていると聞きます。そうなんですか?
 ま、現代は「いろは歌」でひらがな・カタカナを憶えることもまずないでしょうし、序数詞代わりに「いろは順」を使う事も少なくなりました。なので、無理からぬことかもしれませんね。
 と、いうことで、今日はこの忘れられかけている「いろは歌」に関する話を少ししてみようと思います。





1):「いろは歌」と読み書き
 「いろは歌」は、それが創られた当初からかな文字の読み書きの習得がその目的でした。(異説もあります)

 で、私が最初に「いろは」を教わった時は以下の様に覚えさせられました。
 「いろはにほへと
  ちりぬるをわか
  よたれそつね
  ならむういの
  おくやまけふこえて
  あさきゆめみし
  えひもせす

  ん」

 調子がグダグダですし、「い」と「え」がダブっていますね。

 私が子供の頃は、幼稚園に入る子供も稀でしたし、保育所などは皆無でした。大都市には託児所はあったようですが、私の身の回りにはありませんでした。なので、文字の読み書きを学ぶのは小学校入学後、というのが普通でした。
 私が小学校に入学したのは、「もはや戦後は終わった」と言われた頃でしたが、教育の世界では未だ戦後の混乱は残っていまして、学校の図書室には墨塗りの本がまだたくさん残っていましたし、「現代かなづかい」の告示から十年余りは過ぎていましたが、まだ過渡期というか、過度期でした。現場の先生方も、中央の官僚も、戦後の”民主主義”に戸惑っている時代だったのです。
 なので、私が教わった「いろは歌」にはその「過度期」の影響が出ています。ひとつには宗教色の排除と「五十音表」の影響、もうひとつは「ゐ」と「ゑ」の排除、です。
 平仮名の習得にはもっぱら五十音表が使われました。「いろは歌」は「習字(私の時代は「書道」ではなく、まだ「習字」と言っていたと記憶しています)」の時間に教わったように記憶しています。



 ならば、私より前の世代の人達はどうだったのでしょう。
 まず、江戸時代の寺子屋での話なのですが、「いろは歌」を掛け軸にして示す、或いは、少し稀ですが、「五十音図(五十音図は、室町時代には既に出来ていました)」を掛け軸にして示すことはありましたが、かな文字の習得はもっぱら「往来物」の書写、音読で行っていました。と、いいますのも、この時期のかな文字には異字体が多く、また、書き文字が主でしたので、その異字体や続け字の習得が必須だったからです。しかし、寺子屋によっては「いろは歌」を手本に書写を行う所もありました。この後でも述べますが、「いろは歌」はたった47文字の「歌」ですので、音読しやすく、憶えやすいという利点もあったからです。主に、習い始めの幼年の「筆子(生徒)」がそうでした。ちなみに、この手本となった「いろは歌」の文字ですが、現代のかな文字とほぼ同じ字体が使われていました。と、いうか、後の時代にかな文字の統一をする際に、この良く使われる字体を統一字体としたわけなのですが…
 対しまして「五十音図」ですが、ヤ行イ段、ヤ行エ段、ワ行ウ段の文字が不確定で、人によって異同がありましたし、先ほど言いましたように異字体があって、それを1表に組み込むことが難しかったため、初等教育に使うのには不向きでした。

 明治に入りましても、しばらくは江戸時代とあまり変わりませんで、
   ・「小学始教全」明治15年の「伊呂波(いろは)」
明治15年小学始教全2_0001.jpg
 (この本は小学校の教師が使う本で、学習指導に使用すべき表等が収められています)
 (赤丸で囲った「そ」が今使われている字体と異なることに注目してください)
 (右下に小さく書かれているのは、その文字の異字体です。
  よく使われる異字体を選んでいるのかと思いましたが、そうでもないようです)

かな文字が一音一文字に統一され、「ん」を含んだ48文字となるのは明治33年の「小学校令施行規則」以降となります。字体は現在とほぼ同じなのですが、印刷字体(フォント)は印刷所の活字によって少し異なるものも存在しました。
 この統一されたかな文字は「正体」・「正体仮名」と呼ばれ、それ以外の異字体は、これ以降「変体(體)」・「変体(體)仮名」と呼ばれるようになります。
 この様にして学校教育では統一されたかな文字なのですが、一般社会では「変体仮名」はその後も使われ続けまして、活字の物では、私の手元に有る古本で最も新しい物では昭和32年発行のものもあります。手紙などの手書きでは、今でも使われる方が居ますね。後は、看板などのロゴにも変体仮名がよく使われています。

 ちょっと話が本題からそれてしまいました。「いろは歌」にしましても、「五十音表」にしましても、学校教育でのかな文字の学習には直接には関係していません。下にちょっと懐かしい教科書の写真を挙げます
   ・第4期国定教科書、「小学国語読本1」昭和8年
所和8年小学国語読本_0001.jpg
 いわゆる、「サイタ サイタ」の教科書ですね。小学校に入学して最初に習うところです。
 このように、習い始めは読本で仮名文字の読み書きを教えられました。「いろは歌」や「五十音表」は、もう少し学習が進んでから、俯瞰的・総合的に仮名文字を見るのに使われました。


注):
 この章で使用した図版は、いずれも仙台市歴史民俗資料館企画展「学都仙台と杜の都」(2015年6月27日~11月3日)の図録からコピーしました。







2):「いろは四十七文字」は、本当は歌なのです 
 私の本棚には、大正13年初版、昭和2年第5版の「手紙手ほどき」という本があります。著者は、書道家・能筆家として有名な中村春堂(尚友)です。大叔母が使っていたものを母が譲り受け、現在は私の崩し字勉強の教材になっています。
*「手紙手ほどき」昭和2年第5版表紙
表紙_0001 (725x1024).jpg
 明治の終わりから昭和の中頃にかけ、日本語の書体は徐々に活字体になって行きました。公文書を始めとして、書き文字に置いても、楷書体・カタカナ書が正式なものとされ、それに続いて行書体・カタカナ書、平仮名書が日常的な書体とされていました。それにつれ、いわゆる続け字・崩し字は”ぞんざいなもの”、私的なもの、下書き、となって行きました。
 しかしながら、これは男性社会の事であって、女性の場合は、流麗な続け字は”婦女子の嗜み”としてかえって奨励される、という事が続いていました。この本はそうした”教養ある女性”の為の「指南書」のひとつです。

 この本に「いろは連綿」という項目があり、「いろは歌」が二つの書体で書かれています。平仮名の続け字の手本です。その内のひとつ、当時ごく普通だった書体のものを下に挙げます。
   ・「いろは連綿」
いろは連綿1_0001 (625x1024).jpg
 「か」や「け」、「え」が現在の書体と違いますが、この様に分かち書きにされていますと、なにやら意味が読めてきますね。漢字かな交じり文にすると、その意味ももっと分かりやすくなると思いますので、字体も現在のものに改めて下に書いてみます。
 『色は匂へど 散りぬるを
  我が世誰(たれ)ぞ 常ならむ
  有為(うゐ)の奥山 今日(けふ)越えて
  浅き夢見じ 酔(ゑ)ひもせず


 七五調の今様の形態をとった道歌です。仏教の経典、「涅槃経」の中の「無常偈」の一節、
  諸行無常 是生滅法
  生滅滅已 寂滅為楽
  (しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう
   しょうめつめつい じゃくめついらく)

を、意訳した歌です。また、「般若心経」の教えるところにも通じています。
 私が子供の頃は、弘法大師が創った、と聞かされていたのですが、実際のところは作者不明、制作年代も不明です。ただ、「いろは歌」が書かれた出土物などから、11世紀末から12世紀前半にはすでに「いろは歌」が手習いの手本として使われていたことが分かっています。いずれのしろ、何処かの学のあるお坊さんが、衆生の読み書きの学習の為に創案し、合わせて仏の教えの根本を伝えようとしたのだと思います。

 さて、この「いろは歌」の意味なのですが、、、仏教の教義の根本でして、解釈にも諸説があります。もとより私にはその力量もありませんし、紙数も足りません。御興味がお有りの方は、以下に参考図書を挙げておきますので、ご参照ください。この本のp69末尾に「いろは歌」の名が出され、p69~p71にかけて、『有為の奥山 今日(けふ)越えて』の解説が書かれています。また、この本1冊で「いろは歌」全体の深い意味が理解できるようになると思います。
般若心経講義 (角川ソフィア文庫) - 高神 覚昇
般若心経講義 (角川ソフィア文庫) - 高神 覚昇
 本文は200ページちょっとですが、内容はかなり濃いです。

 と、このままでは不親切ですね。拙訳との誹りを覚悟で、大意といいますか、歌の意味だけでも下に挙げておこうと思います。

*「いろは歌」の大意
 『今を盛りと咲くこの桜花も、やがては散ってしまう
  それを愛でているこの私でさえ、永遠(とわ)にこのままの姿ではいられまい
  この世のしがらみやこだわりを今日こそ乗り越えて
  目の前の喜怒哀楽に執着する事無く暮らしてゆこう』


 前段2行が涅槃経の『諸行無常 是生滅法』、般若心経の「色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是』で、後段2行が涅槃経の『生滅滅已 寂滅為楽』、般若心経の『遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃』に相当します。
 本来は、「無常」や「有為・無為」、「寂滅為楽」と言った事の意味を深く考察した内容でこの歌の意味を書かなければならないのですが、私のスキルではこんな浅はかな文になってしまいます。






3):「いろは歌」には「ん」の文字が無かった
 私が子供の頃に教わった「いろは歌」には「ん」の文字が入っていたのですが、そもそもの「いろは歌」には「ん」の文字は入っていません。
 また、平仮名にしましても、片仮名にしましても、「ん・ン」には異字体は無く、1字体だけです。「ん」は日本語の文字の中でも特異な文字です。これは、万葉仮名に「ん」に相当する漢字が存在しなかったからです。

 現在、「ん」は前後の繋がりや場合によって様々に発音されます。先行音素に引きずられた鼻音や、後続音素に続く鼻音、後続音が無い場合の口蓋垂鼻音 、単独の「ん」や、一部の口語表現や、方言における「ん」から始まる語の場合の口蓋垂鼻音や軟口蓋鼻音の「ん[ŋ] 」です。
 「ん」の文字は室町時代ごろに生まれたと言われています。平仮名は「无(ブ・ム/ない・存在しないの意/無と同義、無の簡体字)」の草書体から生まれました。片仮名の「ン」は漢文の訓点のうちの撥音を示す記号からとか、「温」の偏からとか言われていますが、はっきりしません。
 この「ん」、「ン」の文字が出来る以前も「ん」の発音が上記と同じであったのかはよく分かりません。万葉集や古事記に「ん」を表す万葉仮名が無い事から、「ん」という音は古代には無かったと言う人もいます。しかし、中世において「ん」と発音する所に当てられた文字に「む」が多く、平仮名の「ん」が「无(む)」から生まれた事等から考えるに、古代では「ん」の音は両唇を合わせて鼻から息を抜いて音を出す有声、もしくは無声の両唇鼻音ではなかったのか、とも想像されます。つまり、ほとんど現在の「む」の音に近かったのではないでしょうか。






<後書き>
 今回の記事は、いつもお教えを受けているリアルET先生の「なぜ? アクセス解析」という記事にインスパイアされて書きました。文末になりましたが、御礼を申し上げます。


 ちなみに、ローマ字表記で「ん」に「m」を使うのはヘボン式ですね。「ん」に続く語がm, b, pで始まる語の場合、ヘボン式では「ん」は「m」を使います。私等世代が習った「訓令式ローマ字」では、全ての場合で「ん」は「n」でした。

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この記事へのコメント

2020年05月07日 22:05
こんばんは。
名前も紹介いただいて恐縮です。
私はいろは歌はかろうじていえるかなあという程度です。一番生き残っている世界は音楽の音階ではないでしょうか。ハニホヘトイロハ,どうしてハから始まるのかは不思議ですが。
異字体の「そ」と「は」はそば屋の暖簾でよく見る字ですね!
2020年05月08日 09:09
ET先生、おはようございます。

 はい、蕎麦屋さんお暖簾の「そ」と「は」です(笑)。

 そうですね、昔はおもちゃ屋さんにいろはかるたは必ずあったのですが、最近はそれも見なくなりました。今の子供たちは「いろは」に接する機会も少なくなったと思います。

 『どうしてハから始まるのかは不思議』という疑問をお持ちの様でしたが、それは「音名」と「階名」の混同からくる疑問なのでは、と思います。「ドレミファソラシド」は「階名」で、主音に対する相対的な音の高さを表します。それに対する「音名」は絶対的な音の高さ(ピッチ)を表しています。
 この「音名」は、基準となるものがありまして、これを「基準ピッチ」と言います。440Hzの音を基準の音(実際の演奏では440~443Hzであることが多いです)として、英語・ドイツ語ではこの音を「A」と表し、明治~昭和の日本では「イ」としました。順次高くなるごとに「B~G」、「ロ~ト」となるわけです。
 この音名の「A」は、ドレミでは「ラ」に当たるわけですが、オーケストラが演奏を始める前には、この「A=ラ」の音を1音鳴らして全体の音の調整をします。(確か、オーボエがその役目を担っていたと思いました)
 主音の定め方に関しましては、音楽理論に詳しくないので分かりません。
 あ、ちなみに、「ドレミ」はイタリア語です。
 もうひとつ、この「A」の音は赤ん坊の泣き声のピッチと同じだそうです。