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zoom RSS 東二番丁〜東五番丁

<<   作成日時 : 2017/07/02 15:11   >>

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 前回の最後に、『次回から2回続きで…云々』と書いたのですが、また私の悪い癖で、どうせだからこの際「番丁」にかかわる話をまとめてしてしまおうか…、などという考えが頭をもたげてしまいました。
 と、いうことで、前言を翻し、2回とは限らずに(ま、できるだけ簡潔に書こうとは思いますが…)、「番丁」に関する「?」な話を書き出してみようと思います。

 で、今回は東二番丁〜東五番丁についてです。

*東二番丁通・五橋交差点
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*現在の東〇番丁通、北〇番丁通
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 (青い線が東〇番丁通、赤紫の線が北〇番丁通です。各「〇番」は英数字で記してあります。)






1)東二番丁にまつわる話
 ・若葉マーク泣かせの合流点
 仙台市内を車で走られる方はよくご存じの所だと思います。東二番丁通が「愛宕・上杉通(あたごかみすぎどおり)」に合流する地点です。
 これが一番分かりやすい写真でしたので、グーグルアースの航空写真を持ってきました。
      ・東二番丁通・愛宕上杉通合流地点
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 写真右が北で、市街地中心部方向、左は南で、愛宕大橋、長町方向です。写真上には五橋中学校のグラウンドが見えています。
 「東二番丁通」は右上から入ってきています。写真では『大通り』と書かれていますが、この様な名称を私は使ったことがありませんし、聞いたこともありません。「大通り」と聞くと、「大町通」と勘違いしそうです。
ともあれ、「東二番丁通」はここで終わり、この先は、右側から入ってきた「愛宕・上杉通」の続きになります。

 さて、この合流点ですが、写真では右から左への方向ですが、長町や荒町、河原町方向へはたいして面倒ではありません。東二番丁通は南行き片側4車線ですが、一番左の車線(第1通行帯)は荒町方向への左折専用車線で路面カラーが赤に色付けされていて、二番目の車線(第2通行帯)は少し先の愛宕大橋交差点で左折して河原町方向へ行く車線で路面カラーが青く色づけされています。残りの第3通行帯と第4通行帯が直進して愛宕大橋を渡って根岸を通り、仙台南ICや長町へ向かう車線になります。これは路面のカラーリングがされていません。分かりやすいですよね。

 問題は南から北への通行、例えば、仙台南ICで高速を降りて仙台市中心部へ向かう時なのです。愛宕大橋を渡ってすぐ、なだらかな上り坂を登り始めると、今まで3車線だった道路が急に6車線に広がります。あれよあれよ、という内にその先には広大な分岐点が…
 大体、土地不案内だったり、免許取り立てだったりすると、第1、もしくは第2通行帯をキープしていることが多いわけですが、そうなると、この短い区間で4車線をまたいでの車線変更などというのは困難を極めます。結果、ほんとは駅前に行きたかったのだけども、不本意ながら県庁・市役所前に来てしまった、というようなことが起こります。

 私は、よくバスで仙台市野草園へ行きます。帰りのバスはこの道順で、愛宕大橋からこの合流点を通り、仙台駅前へと向かいます。愛宕大橋を渡ってすぐにバス停(愛宕大橋)が有って、そこで止まったバスは、その先の合流点前の100mちょっとの間に、第1通行帯から第4もしくは第5通行帯まで一気に車線変更を果たします。実に思いっきりが良いというか、見事です。いつも感心して乗っています。



 ・東二番丁の異名
 東二番丁には「百騎丁(ひゃっきちょう)」という別名があります。
      ・「百騎丁」の道標
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   (この道標は、三井不動産レジデンシャルビル脇の「森徳横丁」入り口にあります。)

 この異名の由来については、以前に仙台城二の丸跡の回で書いたような記憶なのですが、再掲いたします。
 かの有名な「伊達騒動(寛文事件)」の時、伊達家存続のために尽力があった時の老中板倉内膳重矩にいたく感謝した伊達家は、四代藩主綱村の時にその謝礼として騎馬侍百騎と足軽二百人を贈ろうとしました。
 しかし板倉家は、
 「御芳志の段は千万かたじけないことながら、板倉家三万石の知行高では召し抱えることは困難。せっかくの思し召しなれど、ご辞退申し上げる。」
と、丁重に断りを返してきました。
 そこで伊達家では、
 「では、この百騎の騎馬侍と二百人の足軽を”お預かり分”として伊達家で召し抱えておき、一朝有事の際には差送ることといたしましょう。」
と、いう事となり、この騎馬侍たちは東二番丁に配置されました。
 もとは、東一番丁〜東三番丁を「百騎丁」と呼んだらしいのですが、この事があってからは東二番丁を特に「百騎丁」と呼ぶことになりました。
 ちなみに、二百人の足軽たちは岩沼の「矢目(やのめ)」に配置されたようです。現在でもその後裔の方々がこの地にお住まいと聞きます。

 この、番丁の俗称は、北〇番丁には存在しませんが、東〇番丁には複数存在します。後々のお話でも順次ご紹介しようと思いますが、前々回の東一番丁の回でご紹介していなかったので、東一番丁の異称を…
 東一番丁は、北側半分(大町通を境とします)は「糠蔵丁(ぬかぐらちょう)」、南半分は「塩蔵丁(しおぐらちょう)」と呼ばれていました。いずれも、公のそれらの蔵が在って、役人たちが詰めていたからです。
 この異称は、昭和初期ぐらいまではよく使われていたようなのですが、現在は道標にその名を遺す程度になっています。





 東三番丁と東四番丁は後に回しまして、
2)東五番丁にまつわる話
 ・「東五番丁通」ってどこ?
 今の若い方々には「東五番丁通」という言葉は通じなくなっています。でも、ラジオやテレビの道路交通情報には今でも時折出てきますし、タクシーの運転手さんにも大概通じます。私の母も、「東五番丁通」と「上杉通」をちゃんと使い分けます。私はというと…、「東五番丁通」という呼称は使いますが、「上杉通」はほとんど使わずに、「銀杏坂」だったり、「愛宕・上杉通」だったりします。
      ・「東五番丁通」、中央二丁目交差点
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      ・「東五番丁通」、ワシントンホテル前
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 北端は花京院通との交差点です。南町通との交差点で「駅前通」と合流し、さらに南に続き、北目町通との交差点、「北目の旧ガード前」で終わります。そこから先は「清水小路」です。
 現在、この東五番丁通は「愛宕・上杉通(あたごかみすぎどおり)」に包含されてしまっています。「愛宕・上杉通」は、北端は北仙台の昭和町で、南端は愛宕大橋北詰です。旧「上杉通」、「東五番丁通」、「清水小路」を包含した通りになります。



 ・六道の辻と清水小路
「六道の辻」
 本来の「六道の辻」はもう、半分ほどがJR仙台駅構内となってしまい、今は東五番丁通と北目町通の交差点近くの道標でその面影を辿るしかなくなっています。
   ・「六道の辻」の道標がある交差点
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   ・「六道の辻」の道標
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 天保の頃の絵地図を引っぱり出さないと、その謂れが分からないかもしれません。
   ・「御城下町割絵図」
       宮城県図書館のHPよりコピー、加筆
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 赤紫の丸で囲ったところが「六道の辻」です。
 ご覧になると分かるかと思うのですが、この「六道の辻」で「東五番丁通」、「東六番丁通」の南端と、「清水小路」の北端が繋がり、その交点を「北目町通」が貫いています。
 「北目町通」を東側、西側の2本、「清水小路」は、道の真ん中を「四谷用水」が流れて二つに分かれているので2本、それに「東五番丁通」、「東六番丁通」の2本の道を加えて、計6本の道がこの辻で交わる、という事で、「六道の辻」と名付けられたのだそうです。
 また、仏教の「一切衆生 六道輪廻」、つまり、「未だ悟りを得ない人々は、その生前の行いの業因によって、”地獄”、”餓鬼”、”畜生”、”修羅”、”人間”、”天上”の六道を彷徨わなければならない。」という教えから来ている、という説もあります。これは、ほかの地にもある民間信仰なのですが、人々が行き交う「辻(衢/ちまた)」には六道輪廻の亡者が彷徨う、という風説から来ています。その所為なのか、この近くの新寺小路のお寺さんには、彷徨う亡者を救ってくださる「六地蔵」が安置されている所が多いです。



清水小路
 本来は「しみずこうじ」と呼ぶべきなのでしょうが、仙台雀は訛って「しずこうじ」、あるいは「すずこうづ」と呼んでいました。
   ・五橋交差点の歩道橋から眺めた「清水小路」(北方向)
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 本来は、「六道の辻」で始まり、荒町の通りにぶつかって終わる直線の道路だったのですが、「愛宕大橋」が昭和50(1975)年に完成してからは、その北詰、旧「土樋通(つちといどおり)」(現在は”昭和市電通”と呼んでいる)との交点までを「清水小路」と呼ぶようになりました。でも、平成の世になってからは、この「清水小路」の呼称を使う人も減っています。むろん、「すずこうづ」等と呼ぶ人は皆無でしょう。

 名の由来は、この通りの五橋角付近に絶え間なく湧き出でる清水があって、それを「大清水(おうしず)」、あるいは、「里清水」といって、子供の百日咳を治してくれる、という信仰があっって、人々によく知られたところだったことからです。

 なお、この「清水小路」は「仙台八小路」の一つです。他の七つの小路は、「大名小路(片平丁)」、「狐小路」、「野干小路」、「桜小路」、「谷地小路」、「連坊小路」、「寺小路」となります。






<次回は東六番丁〜東八番丁について書いてみます>

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。五橋交差点についてはブラタモリでも扱っていました。確かにあの場所は初めて来た人には鬼門だと思います。
実は私は東西の「○○通り」はなんとなくわかるのですが,あとはよくわかっていません。しかも,運転に煩わされるのが嫌でカーナビの言う通りの最近です。勉強させていただきます。
リアルET
2017/07/02 15:43
ET先生、こんにちは。

 ブラタモリで取り上げていたのは、南北の通りがこの交差点で斜めに交わっている不思議についてでしたね。その件につきましては、私も次回の東六番丁か東七番丁の項で考察をしてみようと思っています。

 確かに、「定禅寺通」と戦後に出来た大通、「広瀬通」や「青葉通」については県外の人にも知られているのですが、昔の通りの名称、「東〇番丁通」、「北〇番丁通」は地元に古くから住む人だけが知るものになっているのかもしれません。
 でも、今の〇丁目〇番地よりかは、東三番丁の広瀬通の角から北へ少し入ったところ、などと言う方が分かりやすい、という事があって、今でもよく使われる通りの名称です。
あきあかね
2017/07/02 16:20
東n番丁・北n番丁に関わる記事、もうどこかでまとめてらっしゃるかと思ってました。このテーマは深めてみるとなかなか面白いですよね。
今回掲載された国土地理院の地図は台原の警察学校や幸町の工場群があった頃のもので、これもまた歴史がにじみ出ていますね。20年ほど前でしょうか。
以前、東照宮周辺に住んでいた頃、一番町に出たい時は上杉の中をよく通っていました。北n番丁と名のつく通りは大通り以外は信号が少なくて早く移動できて便利です。
もりまり
2017/07/05 00:59
もりまりさん、おはようございます。

 そうなんですね。私も折に触れて番丁について書いていたつもりだったのですが、思いのほか少なくて、この際だからと思い立ってこの連載を始めました。しかし、例の悪い癖で、あれもこれもというのが出てきまして、今悪戦苦闘しています。

 この国土地理院の古さに気付くあたり、もりまりさんもするどいですね。これは平成7年修正、平成13年要部修正の五万分の一地形図です。おっしゃる通り、二十年ほど前のものです。警察学校は名取に移転し、幸町の工場群の跡地には商業施設が建ち並びましたですね。

 上杉付近にも興味深いところがたくさんありますので、そちらもいつか採り上げてみたいと思っています。
あきあかね
2017/07/05 09:04

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