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zoom RSS 一番町なの? 一番丁なの?

<<   作成日時 : 2017/06/26 16:26   >>

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 ””なのか””なのか、仙台に観光で訪れた方はそんなに悩まないのかもしれません。でも、仙台に1〜2年住んで、仙台について少しは知り始めるとこれに悩むことになります。




*「一番町」、「東一番丁」
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 一番町二丁目のアーケド街「サンモール一番町」の看板と、「東二番丁小学校」の表札、そして定禅寺通りに建てられている歴史的地名の標柱です。


 仙台に住み始めてしばらくすると、この土地の古い方々から、「”一番”は、”一番”と書くのが本当は正しいんだ。」と聞かされることがよくあります。事実、住所書きなどで『一番丁〇丁目〇番地』ないし『東一番丁〇丁目〇番地』と書かれているものもよく見ます。

 「仙台人は頑固だからなぁ」とも思いますが、そう言わしめる背景には仙台城下の命名規則があるからなのです。
 仙台開府から数十年かけて仙台城下は造られていったのですが、その町造りにあたって、”町人が住むところは「〇〇町(まち)」”、”侍が住むところは「〇〇丁(ちょう)」”という統一規則で名前が付けられました。
 したがって、真っ先に有力商人を集めた「大町一丁目〜五丁目」は「”おおまち”〇ちょうめ」で、現在「こくぶんちょう」と呼んでいる「国分町」は、本来は「”こくぶんまち”、(実際は土地の訛りで”こっぷんまぢ”あるいは”こっぽんまぢ”という呼び方でした。)」が本来の呼び名だったのです。
 で、「いちばんちょう」なのですが、この場所は城や領内の要所を警備する中級武士の「番士(ばんし)」が住む街区でしたので、”一番”と書くのが本来の姿だ、となります。


 しかしですね、そうおっしゃる方々の内でもよくご存知の方は大勢いらっしゃるとは思うのですが…、
 現在の正しい、正式な、住所表記は「一番〇丁目」なんです。しかも、「東」は付きません。
*現在の市街図
     塔文社 1:25000菊全版市街図「仙台市」より部分コピー、加筆
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 赤紫の線で囲った部分が現在の「一番町」です。
 現在「一番町」は、南から一丁目〜四丁目の4街区に分けられています。

 このような表記、街区区分になったのはそれほど古い事ではありません。と、言っても昭和45(1970)年ですから、もう50年近くにはなりますが…
 お歳を召した方々でしたら御記憶がおありなんでは、と思いますが、この年に全国的に住居表記の変更と街区整理が行われました。郵政行政とも絡んでいたと記憶しているのですが、増えすぎて複雑化した街区区分を全国的に整理する事業です。
 この街区区分の整理事業は、仙台の場合、戦災復興事業で大きく変わった仙台中心部から進められました。結果、「本町〇丁目」、「中央〇丁目」等という新しい地名が生まれ、「東一番丁」は、「大町五丁目」と「大町四丁目」の一部、「東二番丁」の一部や、「南町」、「柳町」等を含んだ大きな街区になりました。(この結果、大町〇丁目は再編成されています。昔の〇丁目と現在の〇丁目は異なります。)

 この街区区分の整理事業は、仙台人には大不評でした。「”本町”とか”中央”なんて、味気ないべぇ、どこにでもあるような名前だっちゃ。」とか、「昔の地名が無くなるのは絶対やんだ!」とか、それはそれは喧しかったのです。その結果だと言って良いかと思うのですが(実際、歴史的地名を残そう、という市民運動がおこりました。)、この街区区分の整理事業は市中心部の一部だけにとどまり、多くの古い町名は今でも残っています。
 と、いう事がありまして、前述の様な事を今でもおっしゃる古老は少なからずいらっしゃるという事なのです。

 そうそう、言い忘れるところでした。現在「一番丁」の表記が全く使われることが無くなったかというと、そうでもありません。これは通称というか、俗称的な使われ方なのですが、一番町二丁目〜四丁目の通りとその通りに面する両側の商店街を「一番丁」と表記すことがあります。これは、「番ブラ(一番丁を、ウィンドウ・ショッピングをしながらぶらぶらと歩く事、”銀ブラ”の転用。)」という言葉が生きていた昭和の頃の名残です。当時は「一番町商店街」ではなく、「東一番商店街」でしたので、その記憶がそうさせています。上の地図のピンクの線を引いたところが、今でもその「一番丁」と呼ばれるところです。
 もうひとつ、この様に「東一番丁」が拡大して「一番町」になった事で奇妙なことが起きています。冒頭写真の2枚目、「東二番丁小学校」ですが、その名の通り元は東二番丁という町に在りました。ですが、拡大した「一番町」はその場所も飲み込んでしまい、「東二番丁小学校」の現在の所在地が”一番町二丁目”という、「」なことになっています。上の地図でお確かめください。





 参考までに、以下に古い市街図、城下絵図を挙げ、「一番町」に替わる前の「東一番丁」の範囲を赤紫の線で囲って示してみます。できるだけ正確を期すために手持ちの古地図から番地入りの市街図と、氏名表記のある城下絵図を選びました。町境を特定しやすいからです。

*寛文4年(1664年)
     「仙台城下絵図」風の時編集部
      より部分コピー、加筆

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 江戸時代の「東一番丁」は、このように単純な形で狭いものでした。
 地図上に「東一番丁」の文字が見当たらないのにお気付きかと思います。これは、”町”が町人地を指す言葉であって、武家地には本来名称が無いためです。武家地である「〇〇丁」という名称は便宜上の呼び名であって、必要性が無ければ文書にあえて書かれることはありません。
 ちなみに、江戸の町人が作った「割絵図(わりえず)」でも、薄墨で染めた町人地には町名が書かれていますが、武家町の名は町境の辻に小さく書かれているだけです。

補足):
 (ほとんどの場合と言って良いのですが、公文書に特定の武士の名を記す時には住所を併記することはありません。例えば,『○○(支配頭の氏名)組御納戸役人○○ 〇〇〇(本人の氏名)』と書けばその個人を特定できますし、管理責任者関係もはっきりします。なので、武士に住所といったものは必要無いとも言えます。)
 (ちなみに、百姓町人の場合は住まい(住所)を書いた上で、奉公人の場合はその雇人、小作人の場合はその者の親代わりの本百姓の名、妻子の場合は主人の名が書かれます。つまり、”戸主”が責任者として名を連ねる、ということです。例えば、『○○郡○○村百姓、○○兵衛婿 捨吉<段落>同妻 まつ』といった具合です。)





*大正15年(1926年)
     復刻版「地番入 仙台市全図」仙台市歴史民俗資料館
      より部分コピー、加筆

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 明治以降、武士の多くは、特に賊軍となった奥羽諸藩の武士たちの大部分は、禄を失い”平民”となります。武家町であった「東一番丁」の武士たちも、ある者は商売を始めて商人となり、ある者はこの地を捨てて農民となりました。東一番も徐々に””へと変貌してゆきました。この地図にもそれが現れています。
 ”町”への変化は、元からの商人町であった「国分町」が拡大する形で進みました。国分町の中心で花街として繁盛していた「虎屋横丁」は東一番丁の一部を簒奪して独立した”町”になっています。同様に、賑わいがあった商業地の「玉澤横丁(和菓子屋の「玉澤総本店」、「九重本舗玉澤」の前身、「玉澤屋」はこの地に在りました。それ以前の明治時代は「山家横丁」と呼ばれていました。これは没落武士をまとめて、東一番丁商店街を作り上げた「山家氏」にちなむ町名です。)」も東一番丁にくい込んで独立した”町”になっています。
 結果、東一番丁の形は入り組んだ複雑な形になりました。




*昭和27年(1952年)
     復刻版「最新版地入 仙台市街明細図」仙台市歴史民俗資料館
      より部分コピー、加筆

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 戦災復興事業で立町通は拡張されて東西に延びる広瀬通となり、「玉澤横丁」はほとんど消滅しました。虎屋横丁の花街は、主なお客であった”兵隊さん”が居なくなって、通りの名にそれを残すだけとなりました。
 だいぶすっきりした形になりましたが、仙台城下町方二十四ヵ町筆頭の大町の威厳はまだ強く、独立した”町”を保っています。
 でも、この後、昭和30年頃からは商業経済の中心は東一番丁、中央通商店街(マーブルロード、クリスロード、ハピナ名掛丁の各アーケード街)、駅前(西口)へと移り、昭和45年の拡大した「一番町」となったのです。





 もう一つおまけで、現在(2013年〜2015年)の一番町一丁目〜四丁目の写真も載せておきます。
*一番町一丁目
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 アーケドは無く、道路にも車が入ります。
 東北大学片平キャンパス北門に接し、古本屋や文房具屋、うなぎで有名な「開盛庵」等が在ります。下の二丁目も含めて、少し前までは学生街として賑わっていたのですが、東北大学の機能の大部分が青葉山に移った今は閑散としています。
 北端を南町通、南端を柳町通に挟まれた街区です。


*同二丁目
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 昔は丸善を始めとして地元書店の「アイエ」や「タカヤマ」、「金港堂」が建ち並ぶ本屋街だったのですが、今は金港堂のみが頑張っているだけです。そういえば、松竹なんかの映画館もあったけなぁ…
 この一番町二丁目の横丁、「文化横丁」や「壱弐参(いろは)横丁」の飲み屋さんは今でも昔を懐かしんで訪れる人々が絶えないという事です。
 この街区のアーケード街は「サンモール一番町」と言います。北端が青葉通、南端が南町通に接する、東西に細長い街区です。


*同三丁目
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 北端を広瀬通に接し、南端は青葉通りで、間に旧大町通りを挟んだ街区です。旧大町五丁目は「マーブルロード大町」、一番丁通は「ぷらんどーむ一番町」という名称のアーケード街になっています。地元百貨店の「藤崎百貨店」はこの場所になります。


*同四丁目
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 オープンエアーでアーケードにはなっていませんが、車が入れない歩行者専用道路で、街路樹やベンチも置いてあります。「一番町四丁目買物公園」と呼んでいます。「仙台三越」、「三越別館141(いちよんいち)」はこの四丁目にあります。
 北端は定禅寺通、南端は広瀬通に接しています。



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コメント(4件)

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おはようございます。
興味深く読ませていただきました。そう言えば桜で有名な「東六番丁小学校」(東六小学校)も「丁」を使っています。仙台の「町」と「丁」,初めて知りました。
リアルET
2017/06/27 06:35
ET先生、おはようございます。

 ありがとうございます。仙台に長くお住まいの方にはすでにもうご存知の事柄だとは思ったのですが、改めて整理してみました。

 「東六番丁小学校」、略称を「とうろくしょう(東六小)」と言っていますね。とても歴史がある学校です。
 承応3(1654)年、東照宮造営の際、江戸の東叡山から御霊を迎えたのですが、その神輿を一時この東六小の場所に仮安置しました。いわゆる「御旅所(おたびしょ)」です。そこからこの場所を「御旅宮(おかりみや)」とも呼ぶようになりました。東六小の校庭にその碑があるという噂を聞いているのですが、まだ見たことがありません。
 この東六小から北へ1Kmほど行くと、今度は「北六番丁小学校があって、「北六」なのか「東六」なのか、タクシー泣かせだといわれています。
あきあかね
2017/06/27 08:33
今日は。
広島市在住のアナゴと申します。
いつも仙台のあちらこちらの様子をご紹介くださり、楽しく拝見しております。

最近ある理由があって、仙台市の地図を買っていろいろながめております。
町と丁についても不思議に思っていましたが、なるほどそういうことだったか、と納得した次第です。
ありがとうございました。

もう一つ不思議に感じていることがあります。
「元柳町」、「元鍛冶丁」など「元」の付く通りと、
「本櫓丁」、「本荒町」など「本」の付く通りがあるようです。
この「元」は「元は(以前は)柳町だった。(今は違う)」という意味なのでしょうか?
また、「本」は「ほん」なのか「もと」なのか、そしてその意味は、「こちらが本当の荒町である(だった)。」ということなのか? 等々疑問がわいてきます。

もしご存知であれば教えていただけるとうれしく存じます。

地図を見ていますと、「南光院丁」、「教学院丁」など寺社にちなんだと思われる地名や、「長刀丁」、「外記丁」、「同心町」など、お侍さんのイメージの通りがあったり、いろいろ想像されて面白いです。
高等裁判所の裏に「狐小路」というのがあり、札幌の「狸小路」を連想しました。
アナゴ
2017/06/30 09:02
アナゴさん、お久しぶりです。いつもご覧いただいているとのことで、ありがとうございます。

 ご質問の件ですが、「本」、「元」共に「もと」と読んで、「昔は…」の意味です。仙台城下は、開府以降に何度か拡張がありまして、各”町”も移転や増設がありました。その結果がこの名前に残っているのです。

 地名の由来についてはそれぞれ個別に面白い話があるのですが、煩雑になりますので、機会を設けておいおいご紹介しようと思いますが、アナゴさんがご興味を持たれた「狐小路」についてだけ簡単に述べておきます。
 「狐小路」は東北大学片平キャンパス近くの短い通りの名前なのですが、今と違ってこの辺は大きな武家屋敷があってうっそうとした屋敷森に囲まれた人寂しい土地でした。夜、昼限らず、しばしば狐の鳴き声が聞こえたのだそうです。そこからこの通りの名が付いたのだそうです。
 また、能の「野干(やかん)」に関係しているとも聞いたことがあるのですが、こちらについては詳らかなことは分かりません。
あきあかね
2017/06/30 09:36

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